新年から、明るいはなしでなくてすいみません。
持病が悪化し、もう終わったと思っていたのですが、
周囲の優しい言葉のおかげで、なんとか理性を保っています。
この正月、いろいろ考えたのですが、
いまの生活を維持するのは無理だと考えました。
何を維持するのが無理かというと、
なんというんだろ、見栄をはるというか、
建前を保つことをやめることにしました。
嘘をついていたというか、建前をつくることで、
相手を安心させることが目的であったため、
別段、誰かを騙して利益を得るようなことではなかったし、
いまさら、全部話しても、命までは奪われないだろうということと、
もしも、何かのアテにされていている状況があれば、
これ以上、なにかを隠しても迷惑になると考えたからです。
何人の人が、この日記を読み、それぞれどんな立場の人なのか
ということが、想像しきれませんが、
幸いなことに、いろいろな人達に懇意にしていただいてきました。
ですので、ご存知でない人もいるかもしれないので書きますと、
私は、青年期まで ひきこもりでした。
なんとか、社会復帰の兆しをみせたのが、35歳をすぎたころですが、
様々な事情で、通院や服薬を続けなくては、
日常生活を送れない状況で、その薬も、内科で簡単に
処方してもらえるようなものではありませんでした、
親里に戻るにしても、薬を処方してもらえる病院が見つかる可能性は皆無で、
もう少し、大きな都市とか、そう考えなくても違う町に移住するにしても、
同じように病院がみつかる可能性が乏しく、
行動自由に制限があります。
生活保護を受けているわけではありませんが、
私にかかっている治療費や、社会保障費用は、役所から知らされる
限りしか知りませんが、毎年何百万円というお金が、
私のために税金から支払われています。
さすがに、そんなことが何十年、もしくは、私が寿命を
むかえるまで続くのはおかしいと考えていたので、
本当の意味で、社会復帰するために、かなり無理をしてすごしてきました。
人間関係についてもそうでした、世の中で、孤立無援で
生きていくことは、不可能であると理解していました。
そのために、フォーマル・インフォーマル両側面において、
接触を絶たれないようにするため、建前を演じてきました。
今回の体調の悪化を機に、無理だと実感しました。
ある程度、盛って話して、あとからその差を埋めることを続けてきました。
その計画は、わたしの身体が、ある程度、健康であることが前提でした。
体が資本 という言葉がありますが。
私には、その最低限必要なものが無いと痛感しました。
この先、私はなにも生み出さないだろうし、
わたしに投資しても、わたしをどう利用しようとしても、
それは、無駄な労力であり、何のリターンも無い。
それをはっきり、表明し、親しくしようとしてくれる人に、
できるだけ損をさせないようにすべきだと考えました。
自分で、小さな商売をしていることは嘘ではありませんが、
本当に、たいしたことはしていませんし、大赤字です。
加えて、欠陥のあるものを構築してしまったものが
いくつかあるので、賠償をして、商売もたたむつもりでいます。
この先の人生、借金を返すためだけの一生になると思います。
このような状況です。
こいつ死ぬんじゃないかと思われてしまいそうですが、
そんな簡単にひとという生き物は死なないと思いたいですし、
できれば、生きていたいです。
いまの私は、とても、助けを必要としています、
けれど、おそらく、周囲に助けを求めても、迷惑なだけだと考えています。
助ける方法が無いからです。
今の私が必要としているのは、専門的な知識をもっていて
それを仕事としている人たちなのだろうと思います。
それが、弁護士なのか、医者なのか、役所なのか、国なのか、
NPO団体なのか、もしくはそれら全てなのかはわかりません。
個人的な援助を求めるつもりはありません、むしろ私と
接触を絶った方が得な人は、ぜひそうしてください。
どうか、幸せに暮らしてください。
多くの人が、幸せに暮らして、経済的に豊かな世の中であってください。
世の中が幸せになれば、経済的な余裕も生まれるでしょう、
今後なんらかの公的なものが何かさらにできあがって、なんらかの方法で
私が生き残れる可能性が残るとも思います。
このような、ネガティブな文章を書く状況ですから、
大丈夫かと問われれば、かなり大丈夫ではありません。
いくつかの暖かい言葉がなければ、私はとっくに理性を失っていたでしょう。
本当に、ありがとうございました。
もう一度、建前を並べて、前を向くことも考えました、
けど、もう無理です。たぶん、それを再開したら、わたしは
本当に、理性を失って、どうかなってしまうと思います。
典型的に、誰もが想像しうることですが、
わたしの患っている精神疾患なるものは、偏見の対象になるほどの
危険性があって、理性を失った時に、周りに与える迷惑度が
はんぱなく、酷いということです。
若い頃の私は酷く、周囲に多大な迷惑をかけ続ける問題児でした。
しかし、幸いにも、治療を受ける機会があり、
ある程度の社会復帰もできました。
この短い期間の間に、本当に、多くの人に、よくしていただきました。
私は、偽りの私を演じていただけですが、周囲はその嘘を
半ば嘘と知りながら、 ほんとうによくしていただいてきました。
本当に、ありがとうございました。
けど、根本的に、無理がありました。
残念だ、最悪だ、なんなんだこいつ そう思われるかもしれません。
わたしが、これ以上、無理をして最悪の結果を引き起こさないために、
少しでも、残念だ、最悪だ と思われる程度が小さくすむように。
なによりも、私は もっと 生きていたい。
そんな理由で、このようにすることにしました。