8/7【日記】I wonder so, where is da we ar going?? for SDGs(持続可能社会);

最近、フットサルで外国籍の人と触れ合う機会が増えたので、これをチャンスとばかりに英語を覚えようとしている赤ペンギンです、こんばんみ☆ミ

日記のタイトルですが、当初 I think so,where is da we ar going?? としていたのですが I wonder so,where is da we ar going?? に表現を変えました。 理由は、クラウンに乗ってるPちゃんに英語表現の指摘を受けて、なるほど英語ってそういうふうに表現するのかと悟ったからです。

da ってなんやねんという話ですが、 Microsoftの下請けでバイトしてたときに、ハワイ育ちの帰国子女が、接続語でよく使っていたので、文法がわからないときは、da と言ってごまかしていました。相手がネイティブなら、とりあえず伝わるだろうし、 まぁ、いわゆる ギャル語の英語版です。

話は変わるのですが、TikTok を最近始めました。 カラオケで歌ってる動画をUPしただけで、3000再生されたのでびっくりです。

最近、SDGs(持続可能社会) の流れがありますが 『SDGsは、普遍的な目標として「誰も置き去りにしない」という約束を掲げています』。であれば、我々人類は、個人の未来像だけでなく、我々全員の未来像を描かなければなりません。

かといって、ひとりの独裁者が 右向け右で、進む方向を決めるような社会を目指すわけではないと思います。 我々が、我々で話し合って、我々の進む未来を決めなければならないのです。

面接でいうと 「将来の夢はなんですか?」とか、「この会社であなた(個人)は、何を実現したいですか?なにをやりたいですか?」 という質問があったりしますが、「あなたは、社会はどのような方向に進むべきだと思っていますか?」という面接の質問は、私の世代にはありませんでした、あくまでも個人で好き勝手に自己を追求してきたわけです。 その結果、置き去りにされる人々がでてきた。 無敵の人なんて、その最たる例です。

Society5.0とWEB3.0の時代。わたしの携わってる業界の未来は、大体決まってきています。

 but,

それは、本当に、私達全員が望む未来なのでしょうか? 概ね望む未来ではあるけれど、1人は、望まない人がいるのではないでしょうか。 その一人の人は置き去りにして、Society5.0とWEB3.0の時代に向かうことは正義なのでしょうか?

わたしは、正義ではないと思います。

わたくしの世代の少し上の世代は、いわゆるテクノストレスで、急に普及したパソコンについていけず、脱落したオッサン達がいて、2000年代初頭に、子供ながらに、そういう人を見た過去があります。

能力は十分あるのに、テクノロジーを使いこなせずに、活躍する機会を奪われた人が沢山いました。

現在の職場でも、さくらサーバーにWordPressで仕事をしている、わたくしからしてみれば 化石のようなエンジニアがいますが、おそらくWEB3.0についていけないと思っています。彼らは置き去りにするのでしょうか???

わたくしの業界だけでも それです、他の業界でも、そういうことはもっとあるでしょう。

一昨日、ホームレスっぽいお爺ちゃんが、交差点の手前で倒れていました、コケただけかもしれませんが、道行く人は、みな知らんぷりです。 わたしは、救急車を呼ぶべきか、様子を見に近づいていきましたが、とりあえず自力でおきてあるき始めたのを確認して、その場を後にしました。

誰も、倒れている ホームレスっぽいお爺ちゃんには目を向けず、まるで何事もないかのように横断歩道を歩いていました。 ある意味、異様な光景でした。

だから、わたしは思うのです。 

I wonder so, where is da we ar going??

誰も 誰も置き去りにせずに 皆で滅ぼうとでもいうのかと。