white pen on white paper

新しい資本主義実現会議の、議事録を少しみてみたのだけれど。
現状の追認に留まっている段階のように感じた。

この30年間、誰もが、先の見えないトンネルを歩いてきた。
仮に、大金持ちであったとしても、いつこの身分から転落するかわからない。
恐怖にみちた30年間だった。
その転落するのを恐れる、貧困の身分が、いかに恐ろしいか。

わたしは、その恐れられる貧困の身分に位置している。

一度、転落したら、二度と這い上がれない。ただ、息を殺して、耳を塞いで、口を閉ざすことしかできない身分。

99%弱者社会、そのように言われている。

けれど、困っているのは、99%の人たちだけではなかった。

100%の人たちが、未来に悩んでいる、明日に不安を抱えている、そんな時代だった。

  • 利益の再分配 – そのような事が言われている。

富の再分配という言い方でも同じ意味だろう。

しかし、はたして、利益や富というものは、本当にあるのだろうか。

確かに、豊かになったように見える。 数字のうえでも、世界経済は成長を続けている。

これらは、テクノロジーの進歩による恩恵にすぎない。

本当に富が築かれているか、利益が出ているかというと、
人の日々の営みは、ほとんど変わっていないのである。

例をあげれば、この文章にしても、30年前は紙とペンでやっていたことが、
キーボードとコンピューターに変わっただけなのである。

それが、富による生活の向上だといえばそうかもしれないが、
形が変わっただけで、やっていることは同じなのである。

育てることの出来る子供の人数が増えたとか、
広い土地にすむ事ができたとか、
趣味に割ける時間が沢山できた とか、

そういう、本当の意味での富は得られていない。

多くの場合、逆である。

少子高齢化と言われ、進歩するテクノロジーや経済で
生き抜いていけるところまで育てる学費などのコスト

社会の発展とともに、高騰する土地や建物のコスト

時代の進歩に追いつくために、働きながら新しい技術を
取得するために割かなければいけない余暇の時間にかかるコスト。

本来、そのようにならないために、
わたくしの好きな作品にこういうセリフがある

 「……だから、生きるために文明を作り、社会を作って身を守った……」

 「ああ。だがそいつが複雑になりすぎて、いつの間にか人は、
  そのシステムを維持するために生きなきゃならなくなった。
  挙げ句、生きることを難しくしちまって、その本末転倒  」

まさに、そのようなジレンマに私達は陥っているのだろうと思う。

過度な自己責任論が支配的になっていたが、そもそも、人とは
文明社会とは、人と人とが、相互に交わりながら助け合い
協力しあって社会というものを動かしていくべきもののはずだ。
それが、人としての営みなのである。 人はひとりでは生きていけない。

新しい資本主義を考えるのであれば、
既存の慣習を放棄することも想定の範囲としなければならない。

縦割りのピラミッド式の資本主義体制を放棄することをだ。

支配する側からすれば、そのようなピラミッド式の構造は都合がよいだろう。
しかし、そもそも人とは、自由で何者にも隷属せず、支配されない。
そういうものである。今の不健全な資本主義構造は限界を向かえている。

冒頭に述べた、転落する底や、這い上がれない底という概念がない構造にすれば
100%が恐怖に怯えながら暮らす日々というものはなくなる。

 

次に経済について。

物価が上がらない、給料が上がらない という日本についての話だが。

物価を上げるというのは、難しいかもしれない。発想が昭和の考え方に近い。
グローバル化した経済圏は、中国製品などがその例だが、安く大量に物を生産して
交易するということを可能にし、同じものを造っていたら、それの物価は
さがっていくのがこの先100年は、そうなっていくだろう。
世界中の人件費が同じにならない限りは。

同じものを消費する価格、つまり物価を上げて名目のGDPをあげ、
給与も増やすという古典的な発想を脱して欲しい。

物価という意味での、同じものを消費する価格は下がる。
そこで、1人あたりの消費する物の種類を増やすのである。

この図のように、消費する物品を増やすトレンドを起こすことで、
経済のパイを広げていこうというものである。
[サッカー観戦][野球観戦]と並べたのには理由があって、
いままでは、サッカーしか観ないだったが、野球も観るというトレンドを起こすというようなイメージだ。
野球とサッカーでなくても、バレーと体操とかでも良い。とにかく種類を増やすという意味。

このように、種類を増やせば経済のパイもあがるし、
いろんな種類の需要があるので、雇用も多種多様に生まれる。

しかし、これだけの余暇が、いまの一般の人にあるかというと。無い。
収入も、そもそも給料があがらないのに、どうやって という課題はある。

それを解決しなければならないが、とかく、物価を上げるのではなく
物価の種類を増やすという時代だということが言いたい。

余暇については、前述したピラミッド式を放棄し、
「働かせてもらってる」というような立場から開放してあげる必要がある。
そうすれば、給与もおのずと上がっていくだろう。

富とは何か、利益とは何か。 お金はあっても、使う時間がなければ同じである。

By Yosuke